’99.3.13


物語文(民話)の指導〜「あとかくしの雪」
 

                          

 

○ はじめに

 教材は、木下順二作「わらしべ長者〜日本の民話二十二編『あとかくしの雪』」(岩波書店1962)である。

 この作品は、何とも言えぬ情感にじむ温かさがあふれている。

 私自身、心惹かれてやまない伝承文学の一つである。

 本作品を教材にして、授業したのは過去三度。3年生二回、6年生一回である。

上学年と下学年では、多少イメージのふくらまし方に違いはあれど、子どもたちは熱心に教材に向き合ってくれた。

(3年生の方がノリがいい。問答しながら生き生きとイメージをふくらませることが出来る。)

 ここでは、四度目となる6年生での実践記録を紹介することにする。

 通常三時間計画だとゆとりがあろうが、これを一単位時間で行う。

 時期は、雪降りしきる寒さひときわ身にしみる冬がいい。

 

○ 授業記録

 教材を印刷したプリントを配付する。

 日付、題名、作者名を板書した後、次のように言ってすぐ範読する。


指示1 これから先生が読みますから、自分の頭に紙芝居を描きながら、静かに聞いてくださいね。
 

 範読後、


発問1 こういうお話のことを何て言うか知ってる?
 

「民話」であることを確認する。


発問2 分からない言葉ありますか。
 

 


・「なんともかとも」・・・・どうにもこうにも、口で表せないほど、とっても
・「ろくに」・・・・・・・・十分に、満足に
・「百姓」・・・・・・・・・農民
・「おこわ」・・・・・・・・赤飯
・「旧歴」・・・・・・・・・昔の暦
・「もてなし」・・・・・・・喜んでもらえるようにサービスをしてあげる
・「かこうて」・・・・・・・たくわえておく
・「しんから」・・・・・・・心の底から(心から)
 

 以上の言葉を辞書を引きながら確認した。

 子どもの方から出てこなかったものは、こちらから提示して尋ねた。

 分かったつもりでいることが、一番いけないこと。尋ねられて、明確に答えられぬものは、「分かっていない」のだということを自覚させることが大事である。

また、こういう言葉一つ一つに、この作品の美しさ・重みが込められているのである。

おろそかに扱っては成らぬ。これは、野口先生から学んだことである。

 国語というのは、教材文や言葉との格闘である。目に見えないこと、分からないことを目に見えるようにする、分かるようになることが学びである。

 卒業を間近に控えたら6年生に、このこともひと言強調して添えた。


指示2 これで分からない言葉なくなりました。全員起立。一回読みます。
最高の読み方で、読めた人から座りなさい。
 

 全員着席後、ノートに①と書くように指示する。


指示3 登場人物をズバリひと言でノートに書きなさい。書いたら、先生に持ってき
なさい。一行に一人書くんですよ。
 

 即、持ってきた子供から○×を付けてやる。

 一行に一人書いていない者、誤字脱字はもちろん黙って×をする。

 30秒以内で33名全員のノートをチェック。

 その後、一人を指名して答えさせる。

 「旅びと」と「百姓」である。

 「ここにある言葉を抜き出して書かねばならない。二つ合って一つの○だ。」と告げる。


発問3 それでは、次ですが、お話の場所はどんなところだと思いますか。
ノートに②と書いて、その下に書いてごらん。
 

 列指名で尋ねていく。

 「山」「寒いところ」「雪が降っているところ」「雪国」「田舎」「山の麓」「村」「田んぼの多いところ」などが出る。

 「そうですね。ここは、都会ではなさそうですね。」と告げ、次の問い。

 
発問4 そこに誰が住んでいたと書いていますか。
 

 「百姓」と答える。


発問5 どんな百姓なのですか。
 

 「貧乏な百姓」


発問6 それだけ?違うよ。そんな百姓じゃない。
 

 「なんともかとも貧乏な百姓」である。

 「その通り。ただの貧乏じゃないの。なんともかとも貧乏なお百姓さんだ。ふつうの百姓じゃないんだよ。」と告げる。

 こういう些細なことに、教師はきちんとこだわりを持たねばならない。

 「なんともかとも」であるからこそ、この話が輝いてくるのである。


指示4 ノートに④と書きなさい。書いたら静かに目を閉じなさい。
 

 静かに語るように問答して、イメージ化を図る。


発問7 家が見えますか。家はどんな家なんでしょうね。
さあ、これからその家にはいるよ。扉はどういう扉かなあ。
あっ!お百姓さんいたよ。どんなもの着ているんだろう。○○さん。
(「ボロボロ。」)
そうか。なんともかとも貧乏だものね。
顔見てごらん。○○くん。どんな顔?(「しわしわ。」「きたない。」)
髪の毛は?(「ボサボサ。」)
さあ、周りを見回してごらん。家の中・・・・何が見える?
(「火鉢。」「いろり。」「茶色の壁。」「すすけた柱。」「真っ黒な畳。」)
そこに独りで住んでたんだよ。
さあ、誰か来たよ。だれ?(「たびびと。」)
そうだ。旅びとだね。どんな旅びと?
(「杖持ってる。」「わらのカサ持ってる。」「草履履いてる。」)
そうか。・・・・・・。
はい。目を開けてごらん。
 

   


指示4 旅びとは、訪ねて来て、百姓に何か言ったよ。
そのせりふに指を置きなさい。
 

 


指示5 そこをみんなで読んでみよう。さん、はい。
 

 一斉読みする。「どうだろうか。おらをひとばんとめてくれるわけにはいくまいか。」

 次に列指名で一人ずつ読ませる。


発問8 どうして、そのように読んだの?
 

 そのように読んだ読み方の訳を尋ねてみる。


・暗くなってきて、寂しくなったから。
・おなかがすいているから。
・「とぼりとぼり」とあるから、疲れ果てていると思って。
・旅びとだから疲れているから。
・雪の上を歩いてきたから、くたびれているから。
 

 


発問9 なるほど。どの言葉に疲れている様子が表れているというわけですか。
 

 「とぼりとぼり。」と子供たち。


発問10 そうだね。それでは、ノートに⑤と書いて。
この旅びとが訪ねてきたのは、何時頃でしょう。その時間をノートに書きなさい。
 

 これも列指名で、全員にテンポ良く言わせた。


・午後7時頃・・・・・7人
・午後8時頃・・・・・8人
・午後6時頃・・・・・8人
・午後5時頃・・・・・6人
・午後10時頃・・・・2人
・午後11時頃・・・・1人
・午後3時頃・・・・・1人
 

 


発問11 随分差がありますね。まず、一番早い時刻の午後3時と言ってくれた○○さんと一番遅い午後11時の○○くん立ちなさい。どうしてそう思ったのかな。
 

 次のように答えた。


・午後3時・・・・冬は暗くなるのが早いから。まだ暗くなる前。
・午後11時・・・「もう暗くなった頃に」と書いてあったので、その頃だと。
 

 まずは、全体に意見を促した。


指示6 反論ありましたら、どうぞ。
 

 


「もう暗くなった頃に」訪ねてきたってことは、午後3時だと早すぎるし、終わりの方に「晩になってから」とあるから、午後11時に訪ねて来るのは遅すぎだと考えます。
 

 この意見に、みな納得。

 時間も押してきたので、教師の解を告げた。


説明1 これはね。午後4時過ぎと考えるのがよいだろう。
冬です。もう暗くなったのです。日暮れが早い。電気の灯りもないような山の中だと
したら、暗くなるのも余計早いだろう。
 

 


発問12 ところで、「晩になってから」とあるが、「晩」って何時ころだろう。
 

 列指名すると午後7時〜午後8時頃と答える子供が多い。


指示7 「こんばんは。」って言いますよね。何時頃から使っていいの?このあいさつ。「晩」を調べてごらん。
 

 「晩」を辞書で調べると、「夕暮れ」「日暮れ」「宵」「日没後、人がまだ寝ずにいるような夜の初めの方」「さらに広く夜全体」など幅広い意味を持っている。


説明2 ここでは、「晩になってから」とあるから、日の入りの後、午後6時過ぎと
みるべきでしょう。
 

 百姓は、何もない中に、精を尽くそうとしている。

 早く旅びとに何か食べさせてやりたいのだ。

 せいいっぱいの「もてなし」がしたいのだ。

 そういう見方をすると、午後10時などという時刻は、この話からはそぐわぬ舞台となってしまうというのが私の解である。

 

 さて、先を急ぐ。


発問13 さて、いざ泊まれることになった。よかったですね。
でも、困ったことがあるよ。念のためもう一度聞くけど何?
 

 「旅びとにもてなしてやるもんがないということ」と子供たちは答える。


説明3 そうだな。なんともかとも貧乏だものね。旅びとは「何もいらんぞ」って言
った。なのに、百姓は、大根をごちそうしてあげたね。おいしかっただろうね。
 

 


発問14 でも、その大根は?
 

 「盗んできた大根。」と子供たち。


発問15 さあ、百姓がとった行動は、よいことなのでしょうか。(○)
それとも、いけないことだったのでしょうか。(×)
ノートに○か×を書いて訳も書きなさい。
 

 3分後、挙手にて、考えの人数分布を調べる。

 以下の通りである。


○・・・・・・12人、×・・・・・・・21人
 

 


指示8 ×の人が5,6名意見を述べたのであれば、すぐ討論に入っていっていいです。では、始めなさい。どうぞ。
 

 あえて、×派から発表させた。以下の意見が続いた。


×確かに旅びとにもてなそうとすることはいいことだけど、行動は悪いことだと思います。
×やっぱり、盗むことは犯罪だ。
×どんな理由があっても、人のものを盗むのはいけないことだ。
×旅びとが何もいらないと言っているのに、無理に大根を盗む必要がないと思ったからです。
×もてなすものがないからと言って、隣の家から大根を盗むほどではない。
○この百姓は、確かに盗むということはいけないことだけど、旅びとが訪ねてきたんだから、お客さんだから精一杯もてなしてあげたいと思うし、とっても喜んでくれたんだから、仕方ないと思います。
×だって、いらないって言ってるじゃないですか。
×無理に食べさせているし・・・。
○何もいらないと言われても、やっぱり人間ならやってあげたいと思うんじゃないんですか。
○自分がいざこういうことになったら、やっぱり、いらないとなっても出されるとうれしいものだと思います。
×でも、この旅びとは、百姓が盗んできたということを知らないで食べていると思うし、例え、盗んできているのを知っていたとしても、それを知って食べているのはイヤなもんじゃないですか。
×旅びとが、そういうことをしたら、おいしい大根焼きがまずい気持ちが出てきて、本当に喜ばしいということにはならないんじゃないでしょうか。
○あのう、今ので思ったんですけど、私は、それだからこそ、大根がおいしいと旅びとは思ったのじゃないかと。つまり、大根ももちろんおいしかったけど、その何というか百姓のそこまでしてくれたもてなしがおいしかったのではないかと思いました。
 

 残り時間3分。時間不足で、ここでうち切った。

 しかし、おもしろい発言があった。

 これである。


旅びとがいらないと言ったのに、どうして盗んだのか。
 

 もう一つは、


旅びとは、食べている大根が、貧乏百姓が盗んできたということを知って食べているのか。
 

 なかなか、この話の核心に迫った鋭い視点である。

ちょっと尋ねてみた。4名が「知って食べていると思う。」と挙手した。

その4人の考えを是非聞きたかったのだが、時間の関係上、教師の解を述べた。


説明4 先生は、この旅びとは、お百姓が盗んできたのかは分からないが、自分の家にはないものを何かしらの方法でもてなしてくれたこと、そしてもしかすると、盗んできたのを知っていて食べているのだと思います。
そこのところが、このお話の最大の魅力なんです。
では、なぜ知っていて食べるのでしょうね。
このお話の美しさは、ここにある気がするのですよ。
 

 


発問16 もし、神様がいたとしたら、このことを許してくれるかなあ。
 

 子供らの声は「許す。」「分からない。」など分かれている。

 チャイム1分前。


指示8 実は、神様が許してくれたと思われる文があります。
その文を探して、鉛筆で線を引いてごらんなさい。
 

 子供たち、この問いかけで、はっと気づき始めた。

 
指示9 みんなで、そこを読んでごらん。さん、はい。
 

「その晩、さらさらと雪は降ってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、あゆむあとからのように、すうっとみんな消えてしもうたと。」

全員が一斉に読んだ。


説明5 さらさらとふってきた雪。百姓の盗みの足あと。それをすっと消してくれた
雪。・・・・・「あとかくしの雪」
終わります。
 

 

 

○ あとがき〜考察

■実は、この授業記録のテープは、以上に記した6年生のものしか残っていなかった。

 冒頭にも書いたが、3年生の方がノリが良かったのは、発問15までは問答でテンポ良くイメージをふくらませ、主発問で討論の時間をたっぷりとったからである。

 討論の中で、本実践にあったような核心に触れる視点がいくつか出され、それによって子供たちは、この話の登場人物の行為の裏付けとなる心情を検討していったのである。

そういう点に関して言えば、この度の実践は、いささか、登場人物の把握やこの話の時間帯の設定に時間を配分しすぎたきらいがある。

つまり、不必要な「なぞりと確認」をしてしまった気がしている。

 この程度のことは、6年生であれば、短時間で切り上げるべきだったと考えられる。

 また、イメージ化を図る発問としては、百姓から旅びとに子供たちの視点を移動させ、百姓に盗みを起こさせるほどの要素をこの旅びとが持っているのだというイメージを明確にすべきだったとも反省している。

 そして、子供たちに、できるだけ自力で自由な発想をさせ、イメージさせることを保障するということもまた、授業の前半部では大きなポイントであったようにも思える。

 イメージの対象の明確化と自由イメージの保障が不可欠と言えよう。

 

■ところで、本来冒頭で、この教材における私自身の解釈を述べるべきところであったが、ここにそれを記し、終わりとしたい。

 

 登場人物は「なんともかとも貧乏な百姓」である。

 この言葉は、二回も出ている。

 普通の「貧乏」ではないのである。「なんともかとも」、自らが生きていくのに精一杯の一日一日を過ごしているそんな百姓なのである。

 そこに、「旅びと」が訪ねてくる。

 旅びとは、訪ねた宿がなんともかとも貧乏だということを少なからず認識しているはずである。

 それなのに、そのような百姓を頼らざるをえない、これまた疲れ果てた哀れな人物である。まして、外は冬の日暮れ、寒さは一段と身にこたえる。

 状況の設定が、まずこうなのである。

 百姓は、「盗み」という犯罪を犯す。これ全て旅びとのためである。

 短い話の中に、いや短い会話のやりとりに、そして一文一文に、私は言うに言われぬ互いを認め合う真の優しさ、温かさを感じるのである。

 百姓は、盗みをすると言うことに対し、相当な迷いがあったと推測する。

 優しさ故に盗みを犯した百姓。

 旅びとは、そのことを知ってか知らぬか、「おいしい。おいしい。」とほおばる。

 このとき、二人は、話の中では会話をしていない。

 ただ、そこには、相手を思いやる情や切々とした温かなぬくもりの時が流れている。

 何とも美しい光景ではあるまいか。

 

 エピローグを読んでみる。

 この話を知った土地の人々が、この話を語り継ぐべく大根焼きをして食べ、おこわを炊き、人間というものはかくあるべしと、それがその土地の風習となったと記している。

 単なる昔話では終わらぬ、人間として大切なものが、このエピローグには脈々と流れている気がしてならない。

 百姓の足跡、盗みの跡を雪はさらさらと消していく。

 雪は、いわば神としか思えない。

 盗みという犯罪をこえた価値あるものとして、神はお許しになられたのであろう。

 より尊いものとは何か、この民話を読むたびに、私はいつもこのことを考えさせられる。

 

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