体育の時間のことであった。
6年生。とびばこ運動。
ある子が跳ぼうとしたとき,一人の女の子が「ころべ。」とつぶやいた。
このちょっとした言葉を,私はしっかり耳にした。
こういうことを見逃してはならない。
私は,全体の前でこのことを以下のように取り上げた。
次の日の「朝の会」でのことである。
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説明 ある人の日記です。(私が作ったもの)読みます。
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きのうの体育の時間のことでした。
その日は、とび箱の時間でした。
○○くんは,大技に挑戦するところでした。
それは,人に見せびらかすとかそういうつもりではありませんでした。
周囲の人は,○○くんが大技をするというので,興味津々。
近くの人は,寄り添ってわくわくしました。
○○くんは,息を潜め,一歩足を前に進めると軽い助走を始めました。
○○くんの目には,跳び箱しか見えていませんでした。
集中を高め,助走は徐々にスピードアップしました。
その時です。
○○くんの背中ごしに,あるつぶやきが聞こえました。
跳び箱に集中していたのにもかかわらず,○○くんの耳は確かにその声をとらえました。
「ころべ。」
背中ごしに聞こえたその言葉は,まるで冷たい氷の刃物のように彼の集中力をくしゃくしゃにし,言うに言われぬ恐ろしさを感じました。
突然,体が防御反応を起こしました。
しかし,スピードの付いた体は,もう止められません。
思い描いたイメージを崩しながら,体は崩れ去りました。
運良くケガにはいたりませんでしたが,○○くんは怒りにふるえました。
技が上手に出来なかった怒り,悔しさではありません。
何気なく,心なく,しかしはっきりと告げられた「ころべ。」という言葉に非常につらい痛みを覚えたからでした。
○○くんは,背中ごしに聞いたその言葉を発した主をはっきりと知っています。
誰が言ったのかも,しっかり体が受け止めていました。
今すぐにでも,その人の胸ぐらをつかんで放り投げてやりたいぐらいの怒りを感じていました。
当然,先生にも言おうかと思いました。
しかし,その怒りは3秒後には,悲しみに変わっていました。
なぜ,そんなことを言うのだろう。
その人は,その言葉を発したことに,何も罪を感じていないのだろうか。
○○くんは思いました。
その友達の浅はかで薄っぺらなさびしい心を。
情けのない温かみのない心を。
そして,その人の今までの全てをのぞき見た思いがしました。
もし,その人のお母さんとお父さんがその場にいて,その子を見ていたのなら,きっと涙を流して悲しむに違いないと。
その人は,今でも自分の言った言葉の重みを感じているのでしょうか。
このことは,たった数秒の出来事でした。
時間にして,3秒くらいの出来事でした。
長い人生からすれば,目に見えぬほどの短い時間でした。
しかし,明らかに,そして確実に○○くんの心をズタズタに引き裂いたのです。
○○くんは強く願っています。
怒りにまかせて,その人をみんなの前で名指しにしてつるし上げることは簡単です。
しかし,それ以上に,その子がこの先もどのように他の友達と関わっていくのか,クラスのみんなをどんなに大事にしていけるのか心配でなりません。
この日記を読んでくれて,その人が少しでも心動かされ,自分の過ちを○○くんに詫びて,伝えることが出来たなら,神様もきっと許してくれることでしょう。
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少し間をとってから,問う。
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指示 いかがでしたか。簡単に感想を聞かせてください。
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列指名で数名に答えさせた。
各々が,その子の行動の非を述べた。
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発問 「ころべ。」と言った人は,今すぐどうするべきだと思いますか。
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これも列指名。ただし,言った本人がいる列に尋ねて,一人ずつ言わせた。
「当然,謝るべきだ。反省すべきだ。」という声があがる。その子もまた,小さい声でそのように答えた。
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説明 先生も同感です。
その人の心が動き,行動として表れたのなら,その人はまだまだ充分な望みがあります。しかし,たったこの数秒の出来事をただの物語として,時間と共に消し去ろうとするならば,先生だって容赦しません。
人として,一番下劣で野蛮なことは,自分の罪を罪とも思わないで自分の脳味噌の片隅にしまっておこうとする人です。
その人は何年後かは分かりませんが,必ずやしっぺ返しを食らいます。2倍,3倍となって,自分自身を苦しめることになろうかと思います。
私たち人間の生き方において,一番下に流れている考え方は,ズバリ「やさしさ」
「思いやり」です。
身近な自分の心の優しさを持ってもいないのに,誤魔化して毎日を過ごしていたり,もし平気でそれを今しているとしたら,先生はその人を軽蔑します。
大人としてではなく,教師としてではなく,同じこの教室の空気を吸っている同じ人
間として軽蔑します。
もし,そのような心当たりのある人がいたのなら,真っ白な素直な心で先生にこっそりと謝りに伝えに来てほしいと強く願います。
朝の話は,これでおしまいです。
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その日の休み時間,その子は私に謝りに来ていた。
「よく来てくれたね。○○さんのこと,もっと大好きになりました。」
「○○くんにもひと言謝っておいで。」と告げた。