’99.2.9
NO.41
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詩の授業〜「ことこ」 |
1.はじめに
ここで紹介する詩教材は、谷川俊太郎氏の「ことばあそびうた」のひとつ「ことこ」である。
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この詩の特徴を以下に簡単に記す。
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れている。韻律(7音律)によるリズムがある。 |
詩を形成する2大要素とは何か。それは、紛れもなくリズムとイメージである。
谷川俊太郎氏の「ことばあそびうた」には、特に音楽性即ちリズムによる面白さ・美しさ・魅力がある。
いわゆる韻律と呼ばれるものである。
韻律の効果について、国語教育研究大辞典(明治図書)では次のように述べている。
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(同書P411より) |
従来、詩の学習指導は知識とか技法に偏り過ぎて、詩が本質的に持っている「詩を読む楽しさ・詩の表現の面白さ」という点が軽く扱われてきたのではないかと言われている。
もともと、七・五調とかリフレイン・比喩などの技法は、詩の持つ面白さを読み手が実感として捉えたとき、初めて見えてくるものである。
逆の言い方をすれば、詩というものは読み手の感受性などと響き合うことがなければ、その詩の持つ美しさなど感じ取ることは難しいということである。
そういう意味から、本教材詩は、子供たちが「詩の楽しさ」を存分に味わることのできる魅力をもった作品と言えるだろう。
以下、授業の記録を述べる。対象学年は3年生である。
2.授業の流れ
プリント(教材詩)を配布する。
(短い詩であるので、教師がゆっくり板書してもよい。)
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どの子も大分難儀しているようである。「すらすら読み」ができないでいる。
この詩の内容が何のことやらさっぱり分からないと言った感じである。
全員着席後、列指名で一人ずつ読ませてみる。
やはり、ぎくしゃくしてすらすら読めない。この時点では当然といえるだろう。
いつも思うのだが、この瞬間が実に楽しい。
この「読み」が終わりには見事に向上的変容をするだろうなどと想像すると、指導意欲が湧いてくるのだ。
内容が理解されないから音読することもままならない。
そこで、始めに個々がこの詩にじっくり向かい合って、今持っている自分の力でどの程度分析できるのか次の指示を出す。
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机間巡視して、鉛筆の止まっている子には、ひっそりと個別に声掛けをする。
「この詩は漢字使われている?」「何行でできている?」「そんなことでもいいから、いっぱい書いてみてね。」というように。
7分後作業を打ち切って書けた数を確認する。
多い子で11個、少ない子で2個書くことができた。
多少に関わらず全員書けたことを誉めた。
少ない子から、指名なし発言をさせる。
その際、聞き手は簡単にメモを取り、「?」があれば、後で質問するように促しておく。(今回はメモ用に座席表を活用させた。)
こういうようなことが自分勝手なおしゃべりで終わらせないようにするために、とても大事なことであると考えている。
コミュニケーションとはこういう発信・受信の関係をいうのだ。
出された主な発表を以下に列記する。
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→「このこの・・・」と続けて書いているので、何かの音のように聞こえたのです。 |
「たくさんの発表がありましたね。すごいですね。先生の気付かなかったことまで出ていました。びっくりしました。」と子供たちを誉めたところで、次の問い。
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指を付けて数える子、口に出して数える子さまざまである。
「こ」を○で囲んで数えている子、「(こ)1」というように番号を付けて数えている子を大いに誉める。
「間違いのない数え方ですね。とても賢いやり方です。」
数え間違いの子供もいたが、ほぼ全員「18」という一致をみた。
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子供たちは真剣に調べる。意外にてこずっているようである。
それでも、「これはちがうよ。」「ここは子と書ける。」というように、たった1つの「こ」という言葉に集中して作業をしている。
このような言葉へのこだわりが、言語能力や語彙力と言ったものを育てていく素地になると考えている。
時間も押し迫っていたので、1人を指名し発表させた。
その意見を元に子供たちに反対意見・賛成意見を求めたがなかなか積極的な意見が交換されなかった。
事後に思ったことであるが、以下のような発問を、1つ1つ丁寧にステップを組んで投げかけていったほうがよかったかもしれないと思われた。
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さて、授業の記録に戻ろう。
意外に時間がかかったので、教師の方で束ねることにした。
解を示す。
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これで、大方の子は納得である。
しかし、この後一人の子から、「たけのこ」は「竹の子」と書けるから、この「こ」も「子」であるという意見が出された。辞書を引いて調べていたのだ。
確かに「竹の子」「筍」「笋」と書ける。
教師の教材不足を子供につかれたわけである。
ここは、子供の発見を大事に取り上げ「たけの子」とした。
ただし、人間の「子」とは区別し、「竹の子」という一つの言葉であることを確認した。
最後に、全員で3回一斉音読をして終わった。
初めにこの詩に出合った時の音読とは比べものにならない立派な音読となった。
やはり、音読は理解の裏付けなのである。
「こ(子)」という文字が明らかになったことだけでも、この詩の意味が見えてきて、向上的変容が表れたのである。
3.おわりに
これは「ことばあそびうた」である。冒頭でも述べたように、詩の持つリズムや楽しさを味わうことをねらいとして授業を行った。
しかし、内容的・意味的に次の2点が気になるところであった。
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