ポルトガル・リスボンの生活 くりの家



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【日常】初めてポルトガルを出た日 2


 翌日は朝10時頃目覚めました。

チェックアウトして、セヴィリアを少し見ようかとも思ったのですが、

リスボンに早く帰りたいなあと思っていたので、もう出発することに

しました。運転、運転。

行きは山道をえんえん行ったので、帰りはなんとしても楽チンな道で

帰りたいと、地図とにらめっこをし、ポルトガルの南部方面を目指します。

表示が見え始めたら、すごく嬉しくなりました。

もうすぐ、ポルトガルに帰れる!

そして、国境を越えた時は何だかホッとしました。

 

 やっぱりポルトガルはいいなあ。

さて、ガイドブックを見てタビラという小さな街で食事をすることにし、

タビラに向かいました。

タビラでガソリンを満タンにして、それから目指すレストランに行き、

ポルトガル料理を食べました。

南部ですから、やっぱり海鮮料理。

私はビールをコップ一杯、ダンナは運転するというので水を飲みます。

お料理は美味しかったです。

そのレストランを出たのが2時くらいでした。

その後、ファーロを車で少しまわり、リスボンに向かうことにしました。

ビール飲んだせいか、少し眠くなってしまい私は助手席でうとうとと

していました。

その時は小雨がパラパラと降っていました。

「あと280kmか。まだ随分あるなあ。」とダンナが言いました。

それからまた少しうとうとして、目が覚めるとダンナが

「参ったなあ、こいつ、ウンチだってよ?。」とつぶやいています。

「ウンチしたいの?」

「うん」

後ろで、息子が切羽詰った声を出しています・・・。

 

 その時ちょうど高速のところが工事のためとぎれ、迂回用の普通の

道路に入ることになりました。その入り口にレストランが見えたため、

ダンナが

「ああ、しまった、あのレストランに入れば良かったんだ。

 他のサービスエリアを見つけなくちゃ。」とがっかりしたように

叫びました。

その時。

迂回道路は大きなカーブになっていました。

ものすごい急カーブをダンナが必死でハンドルを切ります。

「ああっ、やばいっ、やばいやばいっっ。」

私は声も出ませんでした。

目の前の工事用簡易信号機をすっとばして、それからそこにあった

直径3メートルくらいの大きい溝に突っ込みました。

溝は工事中のものらしく、底にコンクリの板が縦にさしかけてありました。

 

 幸いダンナも息子も私もまったくの無傷でした。

信号機をなぎ倒した頃はスピードが大分緩くなっていたので、

大きな溝にはぼっとんという感じで落ちたのです。

(やっちゃった・・・・。ついに。)

まるでジェットコースターで下を向いたまま止まっている、っていう

ような感じで事故の実感がなかったのですが、ドアが開いて

助けられた時は手が震えていました。

車前部はバンパーやライトを含めて破損。

ボンネットは少し歪んでいて、私が座っていた方の車の右側のドア

2つは大きく歪みました。

カーブを曲がる時のスピードは大きかったけど落ちる時のスピードは

大分緩んでいたので、ショックは少なかった。

エアバッグが出なかったくらいの感じです。

 

 車から出て暫くしても、体の震えは止まりません。

すぐにポルトガル人がパッと集まって来ました。

大丈夫かとかいろいろ話しかけてくれています。

「大丈夫です。」と答えながらどうしたらいいかと思い、

携帯を取り出して思いつく知り合いに電話をしました。

先生のフレデリコは「それは大変だ。プロントソコーホに

来てもらわないと。」と言います。

「プロントソコーホって?」

「緊急処理車だよ。ポルトガル人は近くにいるか?」

「たくさん、いるけど・・・。」

「絶対に誰かが知っているから、聞いてみてごらん。」

そこで、「プロントソコーホは呼べますか。」と聞いてみたら、

即「もう呼んだから大丈夫。」と気の毒そうな顔をした、

ポルトガル人のおじさんたちから返事が来ました。

息子は「プリメーラこわれちゃった。パパなんでこわしたの。」と

プンプン怒っています。

「わざと壊したんじゃないんだから、そんなこと言わないの。」

それでも息子は大分ショックだったらしく、ずっと

「パパがプリメーラこわしたー!」とプンプン怒っていました。

 

 携帯でポルトガル人と結婚した友達に連絡をしたら、とてもびっくりして、

すぐにダンナさんと連絡を取ってくれると言ってくれました。

その次の瞬間、見覚えのある車が私たちの近くに止まりました。

 

・・・それはなんと、ダンナの直属の上司。

奥さんと、一泊旅行に出た帰りにたまたま事故を見かけて、

それがダンナの車だったため、驚いて止まってくれたようです。

不幸中の幸いとはこのことで、ポルトガル語はペラペラなその上司が

途方に暮れる私たちの代わりに警察と交渉してくれて、後処理の

話などもその場で聞いてくれました。

車はプロントソコーホが来て溝から引き上げようとしたのですがうまくいかず、

警察も

「このままここにいても仕方ない。後は処理しておくから

連絡をこの業者のところにしなさい。」と言うのでその場を立ち

去ることにしました。そして、その上司のご夫妻が私たちを家まで

送り届けてくれたのです。(T_T) ああ。

不幸中の幸い、幸い・・・・でも、どうしよう、事故・・・・。

 

 友達がとても心配してくれて

「ウチに来て。一緒にごはん食べよう。」

と言ってくれたので、夜8時半頃お邪魔しました。

家族だけではいても立ってもいられない気持ちでした。

ダンナはとても落ち込んでましたが、起きてしまったことはしょうがないので、

ブラジル旅行でもして豪遊したと思おうよ、などと話しながら飲みました。

 

 人を殺したわけでもないし、人の車を傷つけたわけじゃない。

自損だったからまだいいんだけど、我が家の愛車プリメーラ、修理

に120万$以上かかってしまいました。保険料が高いという理由で

自損に入っていなかったのです。(T_T) 

お金がないよ?。

壊した簡易信号機は旅行者保険でまかなわれたのですが・・・。

それに、直るとも限らないから、もしかしたら廃車かもしれないと

言う話もあり、お先真っ暗でありました。

しくしく、ローンもまだ終わっていないのに。

 

 と、言うわけでこのセヴィリア行きは超最低だったのですが、

笑い話にもならないようなラストとなってしまいました。

寒い寒い年末です。

でも、死ななくてよかった・・・・。

生きててよかった・・・・。

 

 この後、車の修理そのものもかなり難航しました。

日本人の感覚で行けば、順調にあがってくるはずの車は、ラテン気質の

修理工場で修理され、納期になってもあがってきません。

プッシュしても、パーツが来ないから、来ないから、と待たされて

いる間に、仲介役をしてくれた仲良しの友達との間にも少しやりとりの

行き違いが表れはじめ、気まずい日々を送ることとなりました。うう。

ダンナよぉー。もう事故はやだよぉー。

車が修理されて来たら、ピカピカのうちに車売っちゃおぅよぉ?。

(しかしダンナは聞く耳もたなかった・・・・・の続きの話はまた今度。)

 

 そして当然この日を最後に、我が家は車で気軽に行けちゃう

と?っても近い国スペインに足を踏み入れることは2度とありませんでしたとさ・・・・。




車はこんなでした・・・。うしろの車はプロントソコーホ。


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