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【日常】2度めの年越し


 

 1999年も終わりに近い頃のことです。



 クリスマス明け、12月28日の朝から原因不明?の熱でウンウン。

熱は38.5度。

風邪だと思うのだけど、セキもなければ鼻水もない。

ただ熱と節々が痛いのと眠いのというのが続きまして、

布団に入れば熱く、布団から出たら激寒い。

それに甘えて寝続けてたら今度は寝過ぎになったかも。(^^;)



その28日の夜。

ダンナ曰く「お前それ肝臓じゃねえの。」

「朝一番で鏡見て目玉黄色くないかチェックしてるわよ?。」

「わかんねーぞー。アレ1日2日経ってから黄色くなんだぞ。←肝炎経験者

 腹痛くないの。」

「痛くない。」

「そーか。じゃあ、大丈夫なんかな。」



 そして29日の朝も目玉のチェックを怠らず、ベッドで惰眠をむさぼってました。

こんな時はロクな夢を見ません。

昼には、事故で壊れた車が直って返って来たものの、大型改造されてて

トラックみたくなってて、

「こんなんじゃすぐ倒れちゃうよー。どうすんのよー。」

と言ってるそのはしから風で倒れてしまうのです。(ショック)

手で戻して、ダンナはふたたび運転するのですがまたヨロヨロと倒れます。

これはきっと、ヨーロッパの悪天候によってなぎ倒される車の映像を

前日からテレビで見続けてる影響だわ?。

そして車を捨ててなぜかダンナとはぐれ、

どこかの国の観光案内所の前みたいなところで電話をしながら、

脚の腿んとこにできてる大きめのおできをつぶしてしまったら、

中味(色は半透明の白)がどろどろと際限なく出て来た。(^^;)

しまいには脚の肉が四角く切り取られてしまってその中味が空洞に

なってしまったので肉を無理矢理元に戻し

「こうしていれば肉がくっつくに違いない。」と夢の中で考えているのです。

両手いっぱいに出てきたその得体のしれない中味を振り落とすようにして

灰皿型ゴミ箱の下の方にある穴に振り落としていたら、近くを通っている

お坊さんのような格好をしている外人にまじまじとのぞき込まれて

バツが悪かったです。

そしてその後、なぜか失ってしまったバッグを「見つかるわけない。」と、

夢の中ではブラジルの恐い所と同じくらい危険と設定されている空港内を

求めてうろつくのでした。



と、散々悪夢を見て過ごしたベッドの中。

29日には峠をもう越したかなと言う感じになってちょっと安心。



 30日、ダンナがお休みを取りました。

幼稚園は基本的にはお休みですが、24日と31日と土日以外は解放してくれて

いるので、息子は幼稚園へ。

朝送り届けた後、我が家では大掃除が始まりました。

10時くらいに始まった大掃除がだんだん盛り上がって来た頃、仲良しEさんから

電話が・・・。



「今日、大きなスーパーへ買い物に行きませんか。」



 ううっ、掃除が盛り上がって来たところなのに・・・・。

しかし車のない我々にとってこの申し出はとっても魅力的。

結局、2時間だけ待って貰ってそれから近くの大手スーパーへ。

チーズやらソーセージやらいろいろ正月用品???を買い揃え、

買い物を終えたのが3時半。それから買い物用品をそれぞれの家に置いて

息子をピックアップしマクドナルドでお昼ごはん。(なんと4時半・・・。)



 ウチに帰って来てから髪を切りに出かけました。

もう今まではアタマボウボウで辛かったわ。

カット代は1800$よ?。(900円じゃ?)



 31日は今年最後の息子の幼稚園日なので、明日こそ大掃除だ!!

がんばるぞー・・・・と思っていました。



 さて、前年の年越しはブラジル人の友達のところで年を越した、

今年も誘ってくれるとは言っていたけどまだ連絡ないし、今年は

家族3人でつつましく(寂しく)2000年を迎えるかねー、と思って

いたところ電話がリリリンと。

 

ダンナが嬉しそうな声を上げてポルトガル語で話してます。

「えっ、もしかして、年越しのお誘い? やったぁ???!」と

叫んだところ電話の相手にも聞こえたらしく、ダンナが電話を

代わってくれました。

「オー、クリ。今マリド(ダンナ)に話したんだけど、去年みたいに

 ウチで年越しパーティやるけど、来るね。」

「行く行く?。絶対行く! 誘ってくれてありがとう?。」

 

 今年は2000年年越しだから盛り上がるぞ?。

お土産は何にしようかな?。

じゃあ31日は朝一番でお正月の買い物に行って、それからおせち用意

して、2000年問題が起きてもダイジョブなようにバスタブに水はって

万全の態勢で出かけよう!

と張り切っていたのであります。

 

 しかし、31日の朝起きたら何と熱が・・・・38.2度。

セキもなければ鼻水もない。

あるのは熱と寒気だけ・・・・。

31日の予定は全部パー。

しかし昼中眠って夜までに絶対治すぞと思っておりました。

ダンナは子供連れて新年のための買い物に。

その日の夜までずーっと動かずベッドにおり、絶対治すぞという

気合いもも虚しく、熱39.2度の状態で夜になりました。

「行くー。絶対行くー。だって熱以外に何も問題ないし行くー。」

と言ったのですがダンナの「ダメ」の一言。

私が行けなくても息子が楽しみにしていたのでせめて二人で行って

欲しいと言ったのですがそれも「ダメ」。

そしてダンナが電話を入れて「今日はクリが大熱を出しているので

行けなくなった。ごめん。」と言うのをベッドの中でため息をつき

つつ聞くことになりました。

 

 寝られずにTVをボーっとつけて、熱は更に上がって39度5分。

ベッドの中で毛布にくるまって年越しTVを見ながら、そして

外から聞こえてくる2000年年越しの歓声を聞きながら、

「ああ、今頃パーティに出ていたら楽しかったろうなあ」

とがっくりしていたのであります。

 

 1月1日朝。

起きて熱を計ったら37度6分。

昨日より幾分調子もいいので起きあがりお雑煮を作りました。

ダンナに「熱は」と聞かれたので「まだあるみたい。」と言ったら

「じゃあ寝てなさい。」と言うのでそのまま一日寝てました。

(いいダンナだ・・・。)

 

 と、いうわけでロクな正月になりませんでしたが、夜8時にその

ブラジル人の友達が得意の手作りお寿司を届けに来てくれました。

昨日パーティに行けなかったので、寂しい正月だろうとわざわざ

もって来てくれたのです。(うう、感動・・・。)

 

 とは言え、常識で考えて39度越えた熱でパーティに参加しようと

いうこと自体が無理があると言うモノで、病気とは言え寝正月になり、

息子の世話はダンナにまかせて、楽チンと言えば楽チンでは

ありました・・・。 ああそれにしても悲しき2000年年越し・・・。

 

(おまけ)

 さてさて、こちらでも全世界の2000年年越しの模様が放送され

ました。ずーっとベッドの中にいたのでTVばっかり見ていたの

ですが、2000年年越し、ユーロニュース(スペイン系)ではとても

詳しくやっていました。

私は、東京の映像を楽しみにしていました。

パリ、ロンドン、ローマの映像やロシアの映像、

どっかの南国の映像、中国の映像・・・・・。

国によって雰囲気は違うというものの、皆盛大にお祝いしてます。

ハッピーな2000年年越しの映像が次々に流れて、ついに日本が。

 

 「Y2K問題対策委員会」の文字とともにしかめつらした中年の

人々が作業服に身を包みコンピューター室に閉じこもり年を越して

いる映像が・・・・。

 

日本のもハッピーな映像を流してくれ?。

 


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